エホバの証人二世が親から離れる方法について
エホバの証人の二世は経済的にも環境的にも強制を受けてきているのは自明の理である。
では、親のその庇護からどうやって逃れることができるか?
言わずもがなだが、それは「自律、自立」である。
自分を律する事ができれば、次のレベルである自立も容易ではある。
自分を守って欲しい、という感覚さえ抜けることができればエホバの証人から抜ける、脱退できることも比較的容易である。
人間の強さはさほど強くないのは承知だが、自分を守ってくれるものがなくなれば強くなれる。
本当はエホバの証人を辞めたいのであれば、こういった行動は予想以上に容易なことでもある。実際、ぼくもそれが出来ていることが証拠である。
以前の記事でも書いたが、エホバの証人の親よりもこの世の親の方が情に深いこともある。この世の親は経済的にも恵まれているケースもあるが、元嫁の親はそういったことはなく、娘を助けたい一心で今後のことを僕に委ねた。元嫁の母親は非常に強く、そして僕をも愛してくれていることを実感した。悲しいことに元嫁は僕のもとから去ったが、元嫁の母親がくれたモノは残している。キーチェーンとかその他諸々とか。
言うなれば、本当の愛を実践しているのは、エホバの証人の母親ではなく、この世の母親である、ということだ。そちらのほうが母性は非常に強く、そしてたくましい。
そして、僕の母親よりも、僕の父親はいわゆるこの世の人だが、僕は父親を大いに尊敬している。母親のルーズさから来る弱さの遺伝子を受け継いでしまっている自分が大いに情けなく思っているが、父親のまっとうに生きる強さは大いに尊敬している。
僕が父親になったら父のことを大いに自慢したい、そしてエホバの証人だった母親に関しては隠し通すつもりだ。
エホバの証人二世が親から離れる方法、それは即ち、いわゆるこの世の愛を知ることに限る。彼ら彼女らは本当の愛を具現化していることは請け負う。僕が想像した愛を超えた存在なんだ。
愛し方もシステマティックなものではなく、この世の親たちはプログラムにそっていない、リアルな愛し方を実行している。
元妻の母親が亡くなったとき、僕は泣きたかった。
でも、泣けば元妻が苦しむ、と思って泣けなかった。
正直、今この記事を書いている僕はあの時の気持ちを思い出して泣いている。
お義母さん、大好きでした。
あなたの優しさが、嬉しすぎました。
あなたの親切が、エホバの証人以上に親切でした。
義務的な優しさじゃない、本当の優しさに。
本当の母親像が分かりました。
あなたがくれたキーチェーン、今でも使っています。
亡くなったとき、号泣を我慢しました。
この世の親の方が切り捨てない強さを持ち合わせていましたから、元妻に対しても愛情をぶつけられました。
今は僕のもとに妻はいませんし、別の男性の子どもがいますが、もうあなたから受けた優しさや思いやりもあげられる環境にありません。
ごめんなさい。
すみません。
あなたの一言で元妻を守ろうと思いました。
「へいけくんやったら安心できる」
ごめんなさい。
ごめんなさい、守りきることが出来ませんでした。
元妻は僕の元から離れ、そして自立の道を選んでいる。僕も右往左往しながら僕の生き方を選んでいる。そして、お義母さんには申し訳ないが、今の僕には彼女がいる。
男は正直孤独に弱い、そして孤独を愛するには僕はまだ強くない。それを正直言って実感している。でも、ミリオンダラー・ベイビーの如く、とあるパイを食べられる強さは欲しい、という強欲さは持ち合わせている。