エホバの証人の子どもとして
僕はエホバの証人の二世として20年近く「信者」として生活していた。
もちろん今はもうエホバの証人じゃない。23歳の頃、エホバの証人たちに何も告げずに離れていった。
辛い思い出と、楽しかった思い出を天秤にかけるとやはり辛い思い出の方が多いと思った人もたくさんいるだろう。僕もエホバの証人に関しては辛い思い出ばかりで楽しかった思い出はさらさらない。
なら最初から信者をヤメればいいのに、と思うかもしれないが、幼い子どもは母親や父親たちから嫌われたいと思う人はいないはずだ(中にはそうでもない人もいるだろうが数は少ないのでは)。また、中にはその親のキマリの中にいないと、食事ですら与えられない子どももいたそうだ。
僕の親は食事を与えない、というな親ではなかったが、幼いころからエホバの証人として集会に行かされ、集会中に寝ないようになんとか嫌われないようにするのに精一杯だった。
二世の方たちなら知っていると思うが、集会中に寝てしまうと「王国会館」といって集会をする場所から親に連れだされ、おしりをベルトやしゃもじなどで叩かれる、という今では体罰でしか過ぎないことが平然と行われていた。ドMじゃない限り、だれだって叩かれるのは嫌なので、王国会館の外からよく泣き声や悲鳴が聞こえた。もちろん僕も例外なく集会中に寝てしまい、おしりを叩かれ泣いて母親に謝ったことはよくあった。
その結果、親に対しては恐怖の念が根付き、僕は母親に対してビクビクする性格の青年となってしまった。