店員「近くに住んでおられるのですか?
レジ店員「近くに住んでるんですか?
この言葉で救われる人もいるし、鬱陶しいと思う人もいる。
僕は前者で、後者は何かしら罪業妄想に囚われている人だと勝手に解釈している(実際何かしら罪を犯しているのかもしれない)。
罪業妄想に関しては過去の記事で散々書いてきた気がするので端折るが、あなたに罪はない、罪があるとすれば親だ。
そして、この手の店員さんはあなたに対して親近感を持っている事実を知ったほうがいい。確かに一部のレジ店員は相手を侮辱したり些少したりしたい生き物でもある。自分のほうが働いている、自分のほうが頑張っている、と思う人もいるだろう。
でもエホバの証人二世のほうが実際は努力を強いられた分頑張っている。
エホバの証人二世に宗教上にも経済的にも恵まれた人なんていやしない。
僕たちは頑張ったんだ。それを否定すれば僕たちの人生は無価値化し、そして無意味となってしまう。
それらを捨てて、無価値化し、無意味化することは楽だ。だが、そこから価値を見出してほしい。実際、その努力は無意味でもなく、無価値でもない。過去記事に書いたとおり、何かしら自分のためになるものを作り出すことは可能だ。その可能性を捨てる事自体が人生への負けを認めていることになる。
負けを認める事自体は悪じゃない。
それを認めることで前進できる人もいる。
僕たちは正直言って今の経済社会では負け組の生き方を強いられている分、他者との差が大いに見受けられる。
でも、負けることはだめじゃない。強くなれるチャンスでしか過ぎない。
戦う相手を過去にすることなく、戦闘態勢を今の自分にして、高みを見つければ登ればいいだけだ。
僕たちエホバの証人二世は決して弱くない。
本当は強い存在なんだ。