2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧
自分自身についてよく理解できている二世などは非常に少ない気がする。命令されるがままに生かされてきたから自分の感情よりも親などの他者の感情を優先させられてきたから、自己不在になってしまう傾向があると思う。自己不在に関しては加藤諦三氏の本によ…
生きることに生真面目になる必要はない。もっと適当に生きていってもいい。そもそもその生真面目さを必要としていたのはエホバの証人時代の自分だったのではないだろうか。僕はもう糞真面目に生きることはやめている。もちろん法律に則った生き方はしている…
ひどく辛いときには叫べばいい 叫んで辛さを乗り越えるなら安いもんだ ひどく寂しい時には叫べばいい 叫んで寂しさが消えるなら安いもんだ ひどく悲しい時には叫べばいい 叫んで悲しさが消えるなら安いもんだ 叫びはこころの不純物を投げ出し そこから僕らは…
今までエホバの証人として生きてきた人たちは条件付きでの愛情を受けていたのではないかと思う。エホバを讃えよ、エホバは真理、エホバは云々……生きているだけで幸せな理由としてエホバの存在があった、とマインドコントロールされていたのかもしれない。そ…
メンヘラだと思われても構わない 辛さの数ならば普通の人よりも多い 母の笑顔はエホバの証人としての誇りでしか過ぎないモノ 潰れるくらいその笑顔を作ってきたけど いつでも僕はぼくのままだったのに 僕はいつの間にか簡単に自分に対してウソをつくことがで…
この記事を見ている元エホバの証人の方たちには難しいことかもしれないが、自分ならではの「笑いどころ」を知ることは本当は大事だったりする。笑いとはどんな低俗なものでも構わない。大事なのは自分が本当に笑えるか、ということなので、それを知らないと…
iPod に負けてしまったと言われている Walkman も捨てたもんじゃない。 今日、家内に買ってもらった Walkman を今も聴いているがすごく進化している。ノイズキャンセリングも効いている上、アプコンまでも対応しているので、CD 音源でも十分聴きごたえがある…
「創造価値」とはヴィクトール・フランクル氏の提案したもので、簡単にいえば「何かを作る」ことである。その創造価値とは、実は非常に奥深いものがあり容易に語れるものではない。ただ、僕としては何かの作品を作っている最中にはエホバの証人時代のことも…
エホバの証人時代、人間は完全ではない、という教えがあったと思うがそれは当たり前だと思う。完全の定義については人それぞれだから今更その定義について話し合っても価値観は大いに異なるから話し合ったところで平行線をたどったものになるだろう。 またエ…
元エホバの証人としてずっと生きてきたなら、十分に自己存在の必要性を知っていると思う。自己存在が十分に実感できたら、次の次元として「他者存在」を受け入れる必要性に駆り立てられているのではないだろうか。 自己不在の次としてあるのが「自己存在」で…
過去の辛い生き方により、敵及び過去中心的(サタン的)な生き方を強いられてきた経験があるが故に、過去の仲間であったエホバの証人たちですら敵対視する人も中にはいるだろう。今までエホバの証人の粗を探したり協会組織の過ちを探ったりして、今の自尊心を…
みんなと同じ生き方ができなかったからといって、自分の経験したことは無駄だったとは思ってはいけない。同級生と違う生き方を強いられたとしても、僕たちは「今」を生きて「未来」に目を向けて生きている。確かに過去の生き方は辛かっただろうし、思い出せ…
Kinki Kids の歌であった「愛されるよりも愛したいマジで」という箇所があるが、これはある意味真理だと思う。受動的な愛よりも能動的な愛の方が人は幸せになれる。 エホバ及びイエス・キリストは愛の具現者的な教育がずっとあったと思うが、そもそもそんな…
www.yomiuri.co.jp 途中で読むのをやめた記事だが、挨拶に関してきちんとできていない人に対する揶揄がひどいとは思う。 なんできちんとその人に挨拶ができないかというのは、その人に対して変なハードルがあるからだったりすると思う。威圧的だったり権威主…
誰しも死を考えたことはあるとは思う。僕ですら考えて未遂したくらいだから、みんなはもっとその深淵について考えているだろう。故に僕はそれについては触れない。そして死を甘受したいならばそれに従えばいいと思う。 でも、これだけは考えて欲しい。エホバ…
何をしても孤独に感じるのであれば、何かを作ってみることを念頭においておくといいかもしれない。森博嗣氏が言うには詩を書くことを勧めていたが、僕個人としてもこれは効果的だと思う。内面を見つめ、それを言語化し、それから客観視する、という一連の作…