元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

認知症になって精神病院で看取られず、最終的に孤独に死んでいった母

やっとのことで、母が死んだ 母の死は最近のことではなく、今から一年以上前のことになるのだが、母は結局、認知症になり、精神病院で親族にも、家族にも、友達にも看取られることなく、最期を迎えることとなった。 そもそも看取ってくれる友達なんてその場…

エホバの証人の子どもとして

僕はエホバの証人の二世として20年近く「信者」として生活していた。 もちろん今はもうエホバの証人じゃない。23歳の頃、エホバの証人たちに何も告げずに離れていった。 辛い思い出と、楽しかった思い出を天秤にかけるとやはり辛い思い出の方が多いと思った…

元エホバの証人二世だった僕の近況-2(お金がなくても得られるもの)

最近は比較的安定しているが、なによりも金がない。 元妻が引っ越し魔でトータル1,500万円以上それに費やしたからというのもあるだろう。よって貯金もなくなり、その元妻が利用したキャッシング枠による借金もかさみ、今は貯金もままならない生活が続いてい…

幸せの得方について

#ダライ・ラマ法王 は2月11日に #ダラムサラ の公邸で行われた講演にて、ドラッグ、アルコール、お金から幸せは得られない、また宗教への信仰心から得られるものでもない、究極の幸せや喜びは思考によってのみ得られるもので、頭脳を使い科学的に考えことが…

元エホバの証人二世だった僕の近況-1

僕個人の近況として取り立てて報告することもないが、最近、ケンカ別れした元彼女がまた僕の元に戻ってた。 彼女とは入院先の病院で知り合い、ラインIDを交換し、やり取りをしている間に仲が良くなり、家に来て泊まるといったことになった。 人間どこで出会…

母について3

久しぶりに母について書こうと思う。 父の話によると母は2019年3月24日現在、精神病院に入院しているらしい。 どうやら担当の先生にお茶をかけたり精神的に不安定だったりと、いわゆるヒステリー状態に陥っている状況なのだろう。母の入院しているところに父…

自分の運命の主人は誰か?

僕たちエホバの証人二世は、ずっと誰か(母親かもしれないしエホバという存在しない神かもしれない)のために使役させられてきた。 それは確かに悲しいことだし腹立たしいことだ。だが、エホバの証人を辞めた今、僕たちはもう親のためやらエホバのためやらの…

「明日は死」なないんだから、神は「在る」んだから

「明日は死」なないんだから、神はあるんだから 「明日は死ぬのだから」 エホバの証人は、エホバの側に付かない人たち(すなわち世の人たち)を【明日は死ぬのだから】というカテゴリにくくり、エホバの証人をやめた人たちや背教者たちを享楽主義へといざな…

進化を止めるな(希望編)

なぜ僕たちは進化しなければいけないのか? それは停滞とは死を意味するからだ。 人はどうせ死ぬし生きる意味や意義を感じない人もエホバの証人二世には多いだろう。理由は言わずもがな自分を殺しながら生きてきたから。 しかし、もしもうもはやエホバの証人…

進化を止めるな(目標・目的編)

そもそもだが、目的や目標を持つことなんてかなり難しいことである。エホバの証人二世には目的なんて持てる精神状態はなく、親たちに強いられたレールの上を走らさせられるだけの人生だったがゆえに生きることだけで精一杯だったのではないか? でもそこで敢…

進化を止めるな(気力・活力編)

興味深いことにこの元エホバの証人二世のサイトは、20代のアクセスはさほどなく 30代40代に集中している(Google Analytics の年齢データによる)。 今の20代はもはやエホバの証人の「畏怖の念」という概念はなく経済がすべてを左右することを把握した親の持…

ひとの愛し方ってなんだろう?

人の愛し方について 端的にいうとこういうこと。 自分の愛されたい方向で人を愛するな 物理及びサービスの提供者であるな ありのままの自分でいてくれることを許してくれる人とともにあれ DV(物理はもちろん精神も含めて)は論外 自分の愛されたい方向で人…

そして今の僕(エホバの証人後)

結婚を迫られ離婚された 結婚生活は15年も続いた。 元嫁はいわゆるこの世の人で、大分以前の記事で言及したが結婚する当初はこちらから結婚を促したのではない。元嫁から『結婚しなきゃ死ぬ』という善人に対して効果的な脅迫をしたことから起因する。 しかし…

自分のいる世界、唯一の must

人は自分のいる場所、居た場所を「すべて」だと思っていないだろうか? 実は自分が居た世界というのは「一つの社会」という枠組みでしか過ぎず、下手すれば社会ではなく村ですらない狭量なカラム(一区切り)ですか過ぎなかったのではないだろうか? 例えば、ネ…

元エホバの証人二世が持つトラウマに対してどう向き合えばいいか

エホバの証人の二世および子供たちは必ずと言っていいほどトラウマ的な傷を抱えている。いや、傷というよりも爆弾といっても過言ではない。 エホバの証人二世たちはみんなと同じじゃない線路を走らされ、そして肉体的にも精神的にも親や「この世」と言われた…

エホバの証人時代だった自縛を打破する

エホバの証人時代が長すぎたせいか、元エホバの証人二世たちは人に好かれなければならない感覚にとらわれてしまっている気がする。 僕も実際そうだったし、人に嫌われないためにはかなりの努力をしてきたつもりだ。確かに人は他人に嫌われて生きていきたい、…

元エホバの証人二世に大事なこと - 無思考化する

過去の傷としてエホバの証人時代があるといった二世の方々は知らない世界で多くいると個人的に思っている。 道行く、通りすがる人の中にも実はエホバの証人二世だった人もいたはずだが、そういった傷を負った面を見せずに健気に、そして強く生きている人もい…

「エホバの証人」を執拗に狩るロシア という記事を読んで

www.newsweekjapan.jp 個人的な第一声は「狩れよ」だったりする。 意味もなく使役と金銭を求める集団に価値はない。 信教の自由が欲しいなら、すでに全知全能の神エホバが何かしら処置を施している。神がいない、神はいないことは証左のとおりだ。 個人的に…

店員「近くに住んでおられるのですか?

レジ店員「近くに住んでるんですか? この言葉で救われる人もいるし、鬱陶しいと思う人もいる。 僕は前者で、後者は何かしら罪業妄想に囚われている人だと勝手に解釈している(実際何かしら罪を犯しているのかもしれない)。 罪業妄想に関しては過去の記事で散…

エホバの証人二世が親から離れる方法について

エホバの証人の二世は経済的にも環境的にも強制を受けてきているのは自明の理である。 では、親のその庇護からどうやって逃れることができるか? 言わずもがなだが、それは「自律、自立」である。 自分を律する事ができれば、次のレベルである自立も容易では…

エホバの証人二世の「自分の愛し方」について

エホバの証人二世は自分への愛し方が至極苦手である。 理由は言わずもがなだが、それは「自己犠牲ありきの」他者への貢献が伺える(イエス・キリストの表明していた愛を実践「させられている」からだ)。 実際それは僕自身でも経験しているし、それによって勝…

エホバの証人時代の過去の記事を読んで思ったこと

書き足りない事項もあったが、ただ、これだけは言える。 無駄なことなんてない、人の痛みを把握出来る体質にはなれる。 すなわち、本質的な愛し方を理解しているが、若干の歪みがあるかもしれない。 それを鑑みてあなたは人の苦痛及び辛さも認識した人でもあ…

エホバの証人二世の鬱は「甘え」か?「原罪論」から来る弱さなのか?

twintailsokuhou.blog.jp という、さっきとりとめもない記事に遭遇した。 結論は概ね >>9 のこの発言に尽きると個人的に思う。 [ 9 ] 甘えでも鬱でもどっちでもいい そいつが使えないことに変わりはないんだから 社会はそいつを置いて行く 以上 これをどう捉…

元エホバの証人二世として開花できる花 part.2

エホバの証人として許されなかったことの一つに「哲学」がある。 かの著名な哲学者であるニーチェの文章を読めば分かるが、いわゆる「キリスト教」の腐敗した原因は全てパウロ及びローマ司教たちにある。 ニーチェ入門 (ちくま新書) 作者: 竹田青嗣 出版社/…

元エホバの証人二世として開花できる花 part.1

花は美しく、そして儚い。 だが、その儚さゆえの美しさもある。 僕たちエホバの証人二世にも咲くことが出来る花はある。人を愛することの価値(人の存在価値を認めることの意義)、そして人に優しさを与えることの意味を。 エホバの証人の二世は人の痛みに対し…

迷わない

エホバの証人が否定的になっていたこの世の音楽であるが、山崎まさよしが歌っていたが「月明かりに照らされて」という曲がある。 月明かりに照らされて 山崎まさよし ポップ ¥250 provided courtesy of iTunes この歌詞が僕は好きだ。 「これ以上 迷わない …

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』(エホバの証人の漫画)という話を読んで

よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話 (ヤングマガジンコミックス) 作者: いしいさや 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2017/12/20 メディア: Kindle版 この商品を含むブログ (3件) を見る を Kindle版で買って読んでみたのだが、どうやら僕には合わな…

人を感情で利用しない(自己存在で他人を理解する)

以前の記事でも述べたが、大切なのは自分を愛することで人への愛を知ることだ。 人とは言ってみれば他人である。 だが、自分への愛し方を知らないで他人を愛することなんて出来やしない。他人に自己犠牲的な愛を強いることはマゾじゃなくサディストのする行…

自分に優しさを与えることで人にも優しさを与えることができる

エホバの証人だった親はあなたに対して厳しかったのではないだろうか。 エホバの証人の親なら聖書というレールが与えられている上、経済的にもあなた(この場合エホバの証人二世)を操作しやすかっただろう。 短略的に言うと、エホバの見方 = 親の価値観 であ…

人生に正しさ(楽しさ)を求めない(2)

全ては僕から起因した出来事だ。 だから僕は自分しか責めることができなかった。 元妻は去り、小規模共済も解約し、そこから得た解約金からの所得から大きすぎた家(3DK)を離れ、今は大阪のこじんまりとした部屋(2DK)に住んでこのブログを更新している。 余計…