元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

閉鎖病棟へ入院、そして現在

自殺未遂のち、何回か解離し妻に救急車を呼んでもらうこともままあった。何回目かの後、僕は精神科のある大きな病院の閉鎖病棟へ入院することになる。

入院生活はとても退屈で、退院した後に自由があることがどんなに素晴らしいか感動ですらした。その入院生活中はいろいろなことを考えた。

 

必要の大きな所で働いていた知人の兄弟が自殺したことや、あまりにも厳しいエホバの証人の戒律を破って排斥された兄弟たちのこと、そして自分のこと。

 

自殺した兄弟は尾崎豊が好きだったのだが、当時まだエホバの証人だった僕は、この世の音楽に対してあまり好意的な意識はなかった。ましてや「夜の校舎窓ガラス壊して回」る人の歌に共感なんかしていたらだめだろ、という認識でもあった。そして、恐らく何かしらのエホバの証人としての戒律を破ってしまったか、この世に染まってしまっている自分を見た罪悪感からか、死を選んだんだろう、という感じがした。

 

よくある話で必要の大きな所へ行った兄弟姉妹たちがやがてエホバの証人の元から離れることはままあることではあった。なぜなら、ゴールがその「必要の大きな所へ行く」ことであり、目的が「必要の大きな所」での奉仕活動ではない人がいるからだ。そしてゴールに到達してしまったがゆえに目的を見失い、排斥行為を行ったり自然消滅するカタチに陥ったりするのだろう(もちろん、それをゴールにすることになく、立派に働いている兄弟姉妹たちも多くは存在するが、経済的なり精神的なりなにかしら援助がないとやっていけない人たちばかりだったりする)。

 

そして自分のことについて深く考える時間は入院中にはかなりあった。

機能不全家庭として育ち、学歴もなく、積み重ねた時間はエホバの証人だった自分に対して、今それらの経験には意味があったのだろうか、といったことや、このままどうすればいいのだろうか、ということや、母親やエホバの証人やその組織を恨みながら生活すればいいのか、といったこと。

それらを考えに考え尽くしても、結局、過去のトラウマにつながり発狂しそうになる。

余談だが、過去を振り返る「トラウマ療法」なるものがあるが、これに対してはお勧めしない。実際、僕は過去をほじくり返していた今までのブログの記事を客観視しながらも書いてきたが、あまりいい気はしないどころか、辛い思い出故に陰鬱な気分にさせられた。また、トラウマ療法には実際カタルシス効果が期待できるが、その一瞬のカタルシスのためだけに過去の傷をえぐり、また憂鬱な気分になったり発狂しそうになることもよくあるので決してしないことをお勧めする(詳しくは比べてわかる!フロイトとアドラーの心理学を参考のこと)。

 

そうして入退院を繰り返し、今の安定した状態になんとか至ることになるのだが、それまでの道のりは果てしなく遠かった。でも、その道にショートカットは存在しないこともよく分かった。

 

 

なぜ、僕は今まで自分のことを書いていたのか、というと人によってそれぞれエホバの証人として育てられ方は違うことを言いたかったからだ。神権家族なら神権家族なりの、母親と父親の宗教が違う家庭ならそれらの、この世と蜜につながっていながらエホバの証人を名乗っていた人ならそれなりの辛さの種類があるからだ。

そこで、僕という特殊でいながら、別の元エホバの証人二世と共通した孤独・辛さ・悩みも解決する方法はわかったつもりだったりするが、それら一言で言えば、自分を救済できるのは自分一人しかいない、ということだったりする。

人から「こうすれば救われるよ」といって手を差し出されたとしても、その人にとっては救いではなく余計なこんがらがりを発生させたり、またそれらはエホバの証人時代と同様の「自己不在」に陥りかねない。

その自己不在に陥らずに、いかに自分を救えばいいか、エホバの証人時代から続いているその出血をいかに止める(抑える)事ができるかについては、次の記事から書いていくつもりだ。