元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

元エホバの証人二世だった僕の近況-1

僕個人の近況として取り立てて報告することもないが、最近、ケンカ別れした元彼女がまた僕の元に戻ってた。

彼女とは入院先の病院で知り合い、ラインIDを交換し、やり取りをしている間に仲が良くなり、家に来て泊まるといったことになった。
人間どこで出会いがあるかわからないが、彼女はとても優しくそして暖かく許すことができる心の大きな人だ。だが、繊細すぎる面もありそれがネックになって傷つきやすい人でもある。 その傷つきやすさが彼女の優しさの源泉だと僕は思うし、それがなくなってしまえばただの一般的な女性でしか過ぎなくなってしまう気もする。
それくらい彼女はエホバの証人時代も含め、今まで出会った人の中ではじめての優しい女性で甘え上手な人だ。

そんな彼女を僕は一度ならずとも二度も失ったにもかかわらず、彼女は僕のもとにまた来た。僕の過失も許し、そしてまた甘えてきてくれる。それが僕にとってとても嬉しいことだった。

二度目に彼女を失ったときの僕の鬱は非常に強いもので、仕事だけでなく食べることや眠ることもままならない状態にあった。

また、心理カウンセリングの先生が僕のスケジュールと気分に関する表を見て、「悪い言葉で言えば『偽善的』ですね」と言われたショックも大きかった。言われた瞬間は気丈さを振る舞っていたが、帰途についている最中の僕はかなり傷ついていってしまい、その傷からの出血は一ヶ月以上も続いてしまっていた。

その傷は誰が作ったものか? 言わずもがなそれは自分自身だ。僕が自分を偽善的にし、僕の仮面で僕は人の目を気にした弱い人間を形成していった。

幼少期にエホバの証人時代があったから、と言い訳もできるであろう。確かにエホバの証人時代は人の目を気にしなければいけないし親のメンツというつまらないもののために自分を殺してきた。

だが、今の僕はもうその人の目やメンツを守るために生きる必要はないが、その習慣はなかなか拭えず、いまだに僕は僕を偽善的すなわち自分を出さない性格を保持している。非常に情けない話だ。

そんな傷ついていた折に彼女が僕の元へやってきた。

彼女が僕の家へやってきた当初、僕の習慣といえば酒を飲んで自分を慰めては吐くという底辺の生活を送っており、正直彼女を家へ入れることに対してそれなりに抵抗があった。

だが、彼女はそんなくだらない僕の状況も受け入れてくれた。台所の掃除もしてくれたし膨大な量の洗濯もしてくれた。

そしてそんな彼女との生活を過ごしている間に僕は食べるといった当たり前のこともできるようになり、最近では睡眠薬はあれど4時間半以上眠るといったこともできるようになった。また、仕事も普通にこなすこともできるようになり、彼女の影響の輪に僕は感化され、元気になっていった

今の僕はこんな感じで素直にゆっくりと生きることができている(彼女は非常にスローな性格なのでそれが伝染したのだろう)。今の僕はお金があまりないけど不幸だとは全然思わない。彼女のためになにかできることがかなり嬉しいことだったりするし、彼女が笑顔になるなら僕は料理だって頑張れる。

それくらい彼女は僕にとって大きすぎる存在だ。

母の現状

父の家から離れ兵庫県某所に生活保護者として生活していた母はあの赤軍を匿ったと言われる精神病院に入院しているという話を過去にしたが、父が言うには、母は認知症になったらしくそれで精神的に不安定だったのだろうと予測がつく。

母はいつも寝っぱなしで家事もろくにせず他責的で金銭に対する欲求が非常に強かった。

その金銭に対する欲求によってかは知らないが、この一年半ほど兄および弟は母の元に行かなくなっていたという。孤独になり、それが認知症を早めてしまったと(言うまでもないが僕は母の元には一度も行ったことがない)。

おそらく兄および弟が母の元に行くたび、彼らは母から金銭を要求されていたのではないかと推測される。

労働期間の長さの割に弟にはお金があまりにもなさすぎるから怪しいと思ったが、おそらく母が原因だったのだろう。

母をかなり慕っていた弟にまで手放されてしまったと思うと「ざまあみろ」と思うのは自然な感覚だと僕は勝手に思っている。今の僕は決して聖者でもなければクリスチャンでもない。

いろんな人や家族を不幸にしていった母を僕は決して許さない。

許すことの方が幸せになるということは知っているが、許すことで僕は僕としてのアイデンティティを消失することが十分に予想できる。

僕はもう自分を殺す作業はしないつもりだ

確かに僕の彼女は僕を許しそして愛してくれている。確かに僕は彼女の大きな優しさに満たされそして彼女を愛することが容易にできているのは否定できない。

しかし、母に対しては愛しても僕にとってメリットはない

非常に冷たい言い方だろうが、母を許し愛したところでその後の母の言うことは予想がつく。

「今度、またサルコイドーシスで入院する必要があるの。お金貸して」。

そんな人を許し好きになる必要なんてあるのだろうか? 母は息子たちよりもお金を選んだ。そんな母を僕は決して許さない。許さないことが僕のアイデンティティであり、そして距離をとることが周りの人に対する思いやりだと思う。

母はあまりにも多くの巻き込み事故を起こして、家族だけでなく周囲にいる人たちを苦しめてきた。誰も鉄砲の玉が飛んでいる場所に飛んでいく人などいないだろう。母はまさしく戦場の弾丸が飛び交うような場所の人で多くの人を傷つけてきた。

今の僕には守るべき彼女と友達と未来の自分がいる。それらの人たちのためにも僕は母と距離をとっている。