エホバの証人二世 ルデア の傷跡ブログ

新興宗教カルト宗教の二世が立ち直った方法

過去にとらわれない・過去に生きない

みんなと同じ生き方ができなかったからといって、自分の経験したことは無駄だったとは思ってはいけない。同級生と違う生き方を強いられたとしても、僕たちは「今」を生きて「未来」に目を向けて生きている。確かに過去の生き方は辛かっただろうし、思い出せば怒りや憤りを感じるかもしれない。

それでも、僕はその過去の経験について攻撃的に嫌悪することはやめている。みんなと同じように学歴があればとは思うこともあるけど、ここは日本でなんとか生きることが容易な国ではある(生活保護までのセーフティーネットを確保しているのは日本くらいだと思う)。二世だからといって辛かった過去の経験を未だに引きずることは、悲しみに囚われた自己憐憫な人だと思う。誰もが知っているように過去は変えようがないけど、今と未来は変えることは可能だ。それに過去の経験は自分に対して嘘をつかない。辛かった思い出はその分、人に対して優しくさせるには十分なスキルだと僕は勝手に思ってる。

過去には自由がなく、自己ですら存在しなかった。そんな過去に対して「あの時にこうすればよかった」という後悔の念はあってもいいけど、それは未来に向けた自分のための糧にしなければ意味はない。過去は変えられないけど、未来のための素材にはなる。

今はどう生きているだろうか。後悔の念がないように精一杯生きているだろうか。それとも、過去の経験が足かせとなって未だに自由を謳歌していないだろうか。過去の生き方は確かに禁止抑制だらけで自己不在を招いてしまう悲しいものだったかもしれない。でも今は自己を持つことも許されていることを知ってほしい。その自己を持つということを許可したのは自分自身であるということを。

この世に支配されてはいけない、という感覚は自己を奪ういわゆる奴隷を生む感覚だと思ってみればいい。確かにエホバの証人だったとしても、ある一定の自由は許されていたし、良心的決定もあっただろうが、それはあくまで人及び協会が定めた範囲内の自由だったのではないだろうか。今はその過去のしがらみから自分を開放していいくらい、もっと大きな自由があることを知ってほしい。柵の外の世界は未知の世界で、その世界を知ることは本当にワクワクすることだ。過去には出来なかった哲学や心理学、進化論なんかは本当に心が踊るくらい楽しい学問で、今までそんな楽しい世界があることもよくわからなかった自分に後悔するくらい、心から愉快にさせるものを読んで知ってみても一切損はない。ジャイナ教やゾロアスター教などといった宗教学もすんなり頭に入ってくるのはきっと禁止されてきたからかもしれないけど、それら数多くの宗教などの見方を知ることは多くの価値感を得られる見解を持つことはすごくいいことだと思う。その価値観は平等主義を自分に身につけさせる有益な勉強法だと思う。

急に過去のルールを変えて、この世の情報に飛び込むことは最初の頃にはかなり抵抗があるかもしれないけど、飛び込んでしまえば後は泳ぐだけでそれほど苦労はしない。何回も言うように、この世の知識はワクワクして楽しいことばかりだ。楽しいと脳内でθ波が出てそれらは実際よく吸収する仕組みになっている。生きることに貪欲になれるし、多くの価値感を持つことで、多くの人と仲良くなれる。そう、過去のしがらみに囚われたままだとこれからの楽しみや幸せはどこかに行ってしまったままで、それは楽しみの損失にしか繋がらない。

過去の辛かった事実は僕にもあるけど、今はもう振り返らない。過去の奉仕活動や自由のなかった生き方や貧困的な生活は、今の僕にとって役に立っていることもある。他人に声をかけることに抵抗はないし、自由の大切さをよく知ることもできた。そして貧しさには自由がないことから、鋳造された自由とはまさしくお金のことだ、というドストエフスキーの言葉も体験した。たまには過去を思い出して辛かった事実を思い出してみてもいいだろうけど、それは数秒でやめてしまうほうがいいと僕は思う。過去に乗り越えた辛さが今と未来の自分の糧になっていることを認識して、自己憐憫に陥らず、未来の自分に投資するように今の自分を費やしていったほうが幸せになれることを体現したから。

のうだま2 記憶力が年齢とともに衰えるなんてウソ!

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