エホバの証人二世 ルデア の傷跡ブログ

新興宗教カルト宗教の二世が立ち直った方法

過去及び敵中心の生き方をやめる

エホバの証人として生きてきた過去は変えることは出来ない。結局、今と未来の自分のために生きなければならないのに、どうしても過去、そして敵であるエホバの証人の組織中心に生きている人がいる気がする。

エホバの証人の組織もしくはエホバの証人である親に対して敵対視することで、今の自我を保つ事ができる人も中にはいるだろう。でもそれは結局、自己憐憫にしか繋がらず、今の自分と未来の自分のためには一切ならない。

 

ただ、その辛かった思い出は今更変更しようもどうしようもないが、その過去の意義については変えることはできる。

例えば、したくもなかった奉仕活動という体験は苦痛で自己不在を重い体験で知らしめられたかもしれないが、前回書いた記事のようにそこから得られた対人スキルはこれからの社会との接し方に対する自分の武器になる、と思えばいいし、集会中静かに聞いたことの体験は、忍耐力を培わさせたと思えばいい。他にもいろいろとあるが、過去の体験は確かに変えることは出来ないが、それらを今の自分の長所へと昇華させることは誰にだってできる。

 

また、これも前々回の記事にも書いたが、辛かった過去と敵を中心にする生き方のデメリットとしては、それは「トラウマ療法」の一環になりかねず、一瞬その不幸に酔いしれる事ができてもそれは長続きしないで、結果深みにハマって抜け出しにくくなるからだ。

ある人はこれを「不幸の安酒」と呼んでいたが、僕はこの安酒のアルコール度数はあまりにも高すぎて二日酔い以上の不幸を呼び出すものだと思っている。この不幸の安酒を飲み続けると一生苦しいことになりかねない。

 

エホバの証人の組織を敵として、いろんな元エホバの証人の人の組織批判に関する情報を収集する癖のある人もいるかと思うが、それは将来の自分に対して何かしらメリットがあるか考えてみて欲しい。それも結局は怒り・憤りを生み出すだけで、時間と労力を損なうだけかもしれない。確かに真実を追求することは大切なことかもしれないが、真実を追求するより、近くにいる友だちや他者に対する愛を培う方が自分の為になったりすることを考えて欲しい。エホバの証人の組織にも穴があるのは確かだが、それをいち個人が追求したところでエホバの証人の組織は強大なので消滅することは無理だと思うし、どうせ組織の悪を追求する努力ができるなら、将来の自分のための投資として別の勉強をした方がお金にも経験にもなるからそっちの方が良いと僕は思う。

 

ただ、真実は何かを追求するのが楽しい(知的好奇心程度)ならそれでも構わないが、それによって何か損失を被ってしまうかもしれない。例えばエホバの証人の敵対組織の本を買ってしまうことによって少しのお金と時間の損失を被るといったことなどと天秤をかけて、楽しむことの方がいいと思うことに対しては否定はしない。だが、それについてエホバの証人の仲間だった人にわざわざ報告する必要はない。それはただの「背教者」として扱われるだけで、エホバの証人として生きることによって救われている人もいる事実にも目を向けても構わないと思う(それくらい人は弱い生き物だと僕は思う)。人は所詮他人で、他人を変えることは非常に難しい。根本的に人を変えることは出来ないと言っても過言ではないが、そんなことをする暇があれば、自分の有限の時間を今と将来の自分のために別のベクトルで費やす方がいい。

 

過去及び敵中心の生き方は一瞬は楽かもしれないし、自分を正当化するには確かにより強固な手段かもしれないが、できれば将来の自分や今いる友だちを中心とした生き方を選んだほうが自分のためになることを忘れないで欲しい。

 

 

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