エホバの証人二世 ルデア の傷跡ブログ

新興宗教カルト宗教の二世が立ち直った方法

エホバの証人時代

エホバの証人時代の過去の記事を読んで思ったこと

書き足りない事項もあったが、ただ、これだけは言える。 無駄なことなんてない、人の痛みを把握出来る体質にはなれる。 すなわち、本質的な愛し方を理解しているが、若干の歪みがあるかもしれない。 それを鑑みてあなたは人の苦痛及び辛さも認識した人でもあ…

母について 2

実はあまり母についてあまり明記したいことはなかったりする。思い出すだけでも不快な気持ちになるからだ。でも、エホバの証人の二世がみんな僕みたいな母を持ったがゆえにこうなった、という誤解だけは避けたい。あくまで僕の母親は僕の母親オリジナルであ…

母について 1

今までも母について要所要所書いてきたつもりだが、母親のより具体的な性格について書こうと思う。 母親は虚言癖がとてつもなくすごく、平気で人前で嘘をつく人だった。 こんなことがあった。 別の会衆の長老との食事会の時、母親は料理を作ること無く、集会…

エホバの証人を辞める

今の妻となる人と付き合い、そして彼女のために僕は必死で働いた。 就職活動をしたところ、運良く就職することに成功。朝は郵便局の内勤、昼は就職先の仕事、仕事が終わると妻の家へと向かう日が毎日続く。疲労はあったが、それはそれで辛さはなかった。 む…

エホバの証人の子どもとして 7(インターネットとの出会い)

僕は兄に対しては敵対心が非常に強かったが、弟に対しては好意的に受け取っていた。 一緒に遊んでいる時間も長かったし、兄には自分の一人の部屋が与えられたが、夜寝るとき、弟と僕は同じ部屋だった。 正直、日本古来の「長男信仰(長男至上主義)」に対して…

エホバの証人の子どもとして 6(開拓者時代)

中学を卒業すると、僕は進路先に NHK 通信教育(NHK学園) を選んだ。 理由は「開拓者」として奉仕活動に勤しむためだ。通信教育ならば、自分の時間が大いに取ることが出来、その時間を奉仕活動として勤しむ事ができるからだ。それが母親の期待であり、周囲の…

エホバの証人の子どもとして 5(恋愛 2)

中学校二年生になっても Y への恋心は続いていた。 孤食(後に仕方なく同級生とともに弁当を食べることになったが)した後、僕は昼休みにいつも図書室に行くことにしていた。図書委員を自ら率先して行い、図書室の鍵を自由に取得できる立場になることで、好き…

エホバの証人の子どもとして 4(恋愛 1)

前回は孤食したことについて書いたが、孤食をする前には普通に「この世の友達」と言われている避けるべき人たちと接していた。 孤食を始めたのは中学校二年生になった時で、中学校一年生の頃は、この世の友達は普通に存在していた。もちろん母親には内緒だっ…

エホバの証人の子どもとして 3

小学生のころの話に戻そう。 母親は兄及び弟に対して非常に愛情を表していた。 僕は次男坊で、親の愛情を得る期間としては短く、そして実際、母親が僕に対して実際にこんなことを言った。 「真ん中の子はあまり愛されないからね」 実際、兄は中学生になると…

エホバの証人の子どもとして 2

エホバの証人の二世の何が辛いか、というと恐らく元二世の方々もそうだと思うが、あまりにも規制が強かったことと、周囲からの孤立を余儀なくされたことだろう。 校歌や君が代を歌ってはいけない、鯨の肉を食べてはいけない、この世と言われている人たちと仲…

エホバの証人の子どもとして

僕はエホバの証人の二世として20年近く「信者」として生活していた。 もちろん今はもうエホバの証人じゃない。23歳の頃、エホバの証人たちに何も告げずに離れていった。 辛い思い出と、楽しかった思い出を天秤にかけるとやはり辛い思い出の方が多いと思った…