元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

母について3

久しぶりに母について書こうと思う。

父の話によると母は2019年3月24日現在、精神病院に入院しているらしい。
どうやら担当の先生にお茶をかけたり精神的に不安定だったりと、いわゆるヒステリー状態に陥っている状況なのだろう。母の入院しているところに父が面会に行ったところ、精神的に会える状態じゃないということでそのまま帰ったとか。

エホバの証人として働いていて『14万4000人に選ばれた』と言われた(いや、当の本人が言っていた)人の末路が赤軍をかくまったと言われている精神病院への入院というのも何かしら感慨深いものがある。
誰も幸せにせず、子供たちを含め周囲を不幸にし、そして当の本人も幸せになっていないことを考えるといったい僕の母親はなんだったんだ? というやるせない気持ちになる。

僕は母が幸せになることを一切望んではいないが、ありとあらゆるものを荒らし壊し砕き不幸しか呼ばなかった彼女の行動および心情は一切許せない。

ときどき、心を開いている人に対して母のことが大いに嫌いである旨を伝えるのだが、人の反応はさまざまで概ね「母親のことを悪く言ったらダメだ」という言葉で返ってくる。一部「わかる」と言う人もいるのだが、前者の反応をする人は母親に恵まれた幸せな人なんだろうという認識しかない。後者の理解を示してくれる人の親はやはり残念な人が多く、ときに精神を患っている人であることもあった。

エホバの証人の親を持って幸せになっている人も中にはいるかもしれないが、それでも不幸になっている人の方がはるかに多くいると僕は思う。

今日17時45分現在、母について思い出した事がある。
夜に中学生および高校生(安定のNHK学園時代)の頃、いつも父親に対してヒステリーを起こしていた。

その声で寝られなかった。母はその声が近所にも響いていたことに気づかなかったのだろうか? そして後に睡眠障害にさせられた僕に対してどう思っているのだろうか。おそらくなにも思ってはいまい。むしろ自分が被害者である、という感覚でしかないだろう。そんな母のヒステリーの声を聞いていたので、元妻との間に子供を作る事はできなくなってしまった。

僕は反出生主義にならざるおえなかった。

ビッグ・ファイブという心理診断を知っているだろうか。
http://www.sinritest.com/bigfive.htmlで調べることができるのだが、僕の結果は以下のとおりである。

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僕のビッグ・ファイブの結果

一見僕という人間は普通の人ではあるが、僕だけでなく元エホバの証人の二世の人たちは、この誠実性の数値が高いのではないかと思う。使役させられた過去からこの誠実さがないと親に打たれるという経験がそうさせたのではないだろうか。

この誠実性の数値が高い人はお金にこまることがあまりないらしい。真面目だからキチンと働くからだろう。なにが言いたいかというと、エホバの証人の二世という経験から僕たちは得たものが必ずあるということだが、受けさせられてきたトラウマや深い傷の割には合わないということでもある。

子供の頃、自由に遊びたかったのではないだろうか? 勉強して大学に行きたかったのではないか? 恋愛をしてそこからいろいろな嬉しさや楽しみを感じたかったのではないか? やりたいスポーツをし、聴きたい音楽を聴きたかったのではないか?

僕たち元エホバの証人二世はその経験を親に奪われた。今強制的に持たされたこの「誠実性」なんかよりも、過去にこれらの経験をして失敗や成功をしたりして豊かな人生を送りたかったのではないだろうか。

しかし、それらはもう過去の話だ。『「苦しい」が「楽しい」に変わる本』(樺沢紫苑著)という本のP.65にはこのように書いてあった。

変えられないものの典型は「過去」と「他人」です。 ......解決できない問題だったなら、そのことで悩むのは最大のストレス。 そこで悩んでもしょうがありません。

過去を変えることはできないし、僕は母を変えることはできない。樺沢氏はP.64でこのようにも述べている。

「変えられないもの」を変えようとする努力は、残酷な表現ですが、「無駄な努力」なのです。

ムダな努力をしてムダにエネルギーを費やしても意味はない。
ストレスホルモンであるコルチゾールをムダに分泌させたところで何も変わらないどころか免疫力低下気力低下など自分をいじめ苦しめる結果になってしまう。

僕たち元エホバの証人二世がすべきことは後悔ではなく、この過去の辛さを優しさへと変化させる強さを持つことではないだろうか。その優しさは人への優しさはもちろん、自分への優しさも含まれている。

過去の怒りではなく、慈しみを自分に向け哀れみを持つこと。これが人への優しさを示すための第一歩だ。自分をいたわる気持ちは決して悪じゃない。エホバの証人の間で強制・矯正された自己犠牲の精神こそ他人を見下す悪の感情だと今になってまざまざと感じる。

僕たちはもう人を差別したり見下したりはしたくない。壊れた母を持つ僕はもう母に対して一切期待はしていない。そして過去を振り返って怒りの感情を持つこともしていない。
母みたいな人になりたくないから、僕は母を反面教師にして人間的にいっぱい前進していきたい。

「苦しい」が「楽しい」に変わる本 ~ 「つらい」を科学的になくす7つの方法~

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