元エホバの証人二世ルデアの傷跡ブログ

新興宗教カルト宗教の二世が立ち直った方法

進化を止めるな(希望編)

なぜ僕たちは進化しなければいけないのか?
それは停滞とは死を意味するからだ。
人はどうせ死ぬし生きる意味や意義を感じない人もエホバの証人二世には多いだろう。理由は言わずもがな自分を殺しながら生きてきたから。
しかし、もしもうもはやエホバの証人ではないならばもう自分を殺しながら生きていく必要性は皆無だ。このことについては再三述べてきたので端折る。

希望をもつのに必要なもの

進化をするために必要なものとして気力・活力を持ち、それをガソリンとして持続させるために目標・目的を持つことを強調してきたが、次に必要なものとして希望をもつことについて言及していた。ではなぜ希望が進化に必要なのだろうか。

希望なき明日には停滞と怠惰しか残らない

人はだらけたり弱くなると明日に対して戦う気力を失ってしまう。停滞は怠惰を生み、そして自滅へと至る。その怠惰に至らないで勝ち続けるために希望は非常に強力な武器となる。希望は人を強くする。さらに強い人には人が勝手に寄ってくるものである。人が人を呼び、人が自分を強くし、自分からさらに他人を強くする相互作用が働く。そのためにも希望は停滞以外の怠惰を取り除き、自分を強くする効力を発揮させる。

人は弱い。

容易に停滞へと流されやすい材料で世の中にあふれている。酒、ゲーム、ムダな情報(ゴシップなどの将来的に何の役に立たないもの)その他もろもろ。僕は酒に流されそして多くの時間およびお金を失ってきた。さらに愛すべき人をもなくしてきた。

その理由は自ずとわかっている。明日への希望がなくなったときに人はそれらに流され自己成長を抑制し惰性・怠惰へといざなわれたときに弱さを隠れ蓑にして逃げるためだ。別に逃げることは悪ではないが、自分の人生から逃げることは何の役に立たない。

逃げるためには希望も必要だ。希望を持つことは逃げるための戦略も考慮する事ができる上、さきほど述べた通り自己成長へといざないやすい循環へつなげる。ならば怠惰よりも希望を選んだほうがよいではないか?

希望を失った人に近づかない

人は希望を失いやすい生き物であるがゆえに、希望や向上心の欠如を得てしまいがちである。だが、自分の中に希望があるならならばその希望を消しやすいひとの近くに決して近づかないことが大事である。苫米地英人氏は彼らのことをドリームクラッシャーと表現していたが、本当にそのとおりだと思う。

希望や向上心の欠如は感染しやすくそして破滅などを呼ぶ。危うく僕もそれにやられるところだった。近親者に向上心の欠如したひとがいたのだが、その生き方が妥当なんだろうと激しく錯覚してしまった。でもそれは大いに間違いで、それならばまだひとりでいたほうがいいことにやっと気づいた。

僕も気が付かないうちに感染させられてしまい怠惰へといざなわれたことには全然気が付かなかった。それくらい希望を失ったひとの影響力は非常に強い。もし知り合いにそういうひとがいたならば距離をとったほうが大いに好ましい。

希望は進化を止めない起爆剤

ここまで述べたら多くの人は気づいているだろう。希望も結局はエネルギーの異種であってほかの気力・活力・目標・目的とほぼ等価であって、希望はさらに一歩先にいった重要なエネルギーのひとつだ、ということだ。希望は怠惰を避け、強いエネルギーを呼び寄せる円環の無限増殖の価値を生み出す。

ゆえに希望は非常に重要なもので(でも最初からこの希望を持つことはできないことを前述の進化を止めるなシリーズでのべたが)、この希望を失うことでひとは平気に落ちることも可能だ。ただこの希望を手にいれ自分の成長へとペースに乗せることができるならばもうエホバの証人二世時代とはさよならしたことを認識していいものだと思う。

僕もこの希望を失わないよう、僕より希望エネルギーの強いひとたちと会いにいく。