エホバの証人二世 ルデア の傷跡ブログ

新興宗教カルト宗教の二世が立ち直った方法

元エホバの証人二世として開花できる花 part.2

エホバの証人として許されなかったことの一つに「哲学」がある。

かの著名な哲学者であるニーチェの文章を読めば分かるが、いわゆる「キリスト教」の腐敗した原因は全てパウロ及びローマ司教たちにある。

 

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

 
これがニーチェだ (講談社現代新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

 

 パウロがイエス・キリストを利用し、そしてその後にローマ司教たちが保身のために聖典と言われている聖書をも利用してきたことは自明の理だ。

 

エホバの証人として許されなかった哲学者としてはニーチェだけではないが、いわゆる統治体にとって都合の悪い存在がそういった哲学者であったことは言わずと知れたことだ。

 

だが、ニーチェは言う。

イエス・キリストに対しは悪意はないが、それを利用した人たち(パウロをも含む)を憎んでいることを。

 

僕はパウロが嫌いだ。だが、イエス・キリストの価値観は好きだ。

元エホバの証人の二世が何を言っているんだ、と思われるが、パウロ及びローマ司教その他統治体たちはイエス・キリストの思考に思考を重ねた価値観は否定できないものであると思う。

だが、純粋な彼の考えを利用するパウロたちが嫌悪すべき存在であることは把握している。イエス・キリストは存在したが、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネはパウロに利用された人であることは容易に理解できる。

 

では、そういった事実を受け入れた上でどうすればいいだろうか。

正しさを踏まえた上で、自分なりの生き方をするべきだ。

言ってみれば現代社会にあった生き方で生きればいい。

 

そんなことを言ったって理解できない、と思う人もおられるかもしれない。

だが、人は道義的に道徳的に進化できない生き物であることは「サピエンス全史」で証明されている。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

これらの書物を読了されることを僕は強く勧める(なんならアフィコードを削って買われても構わない)。

上述の彼はヘブライ大学出身で言ってみれば公正に見る能力に長けた人であることは事実だ。宗教学にも特化された人であることは僕が請け負う。

 

話を戻そう。

イエス・キリストは素晴らしい価値観の持ち主だ。

だからといってキリスト教になれ、とは言えない。言わない。

 

パウロが利用したキリスト原理主義を捨てて、大切な価値観である現在の世のもの、すなわち死を受け入れて、そして愛すべき人を愛して、そして笑顔になれる生き方が全てである、ということだ。

愛し方なんて千差万別だ。自分なりの愛し方を愛したい人が受け入れられないことも十分考えられる。

だが、愛して、愛されて、愛し方がマッチする、といった人を是非とも愛そう(続く)。