元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

エホバの証人時代をアウトプットする

辛かったエホバの証人時代の事をアウトプットすることによって自分を省みることができる。

 

何が辛かったか、

何が悲しかったか、

何が楽しかったか、

何が嬉しかったか、

 

エホバの証人時代にも楽しかったこと、嬉しかったこともあるはず。

しかし、エホバの証人に『させられた』二世たちはいろんなものやことも失ったものも多いはず。人脈的にも経済的にも。

 

その辛かったこと、悲しかったことを人及びブログでアウトプットすることでその嫌さを除去できる。

自分が新興宗教の団体に属していることを知人に知られたくないのであれば、匿名でブログを書いてその辛かったことをアウトプットすることによって忘れる事ができる。

実際、僕もこうやってアウトプットすることによって診療心理士によるカウンセリングを受けることもなくなり、過去の柵(しがらみ)に囚われることもなく今は平然と生きている。

かつて、診療心理士さんにエホバの証人時代の辛さを伝えたこともあったが、このブログを書くことによって何かしら柵(しがらみ)に囚われることがなくなった旨を伝えた事があった。診療心理士さんがいうには、こういう『囚われ』を開放するには自分の過去を振り返り、何かしらのことで伝えるか日記に書くことによって、辛さや悲しさを忘れやすくなるということらしい。

 

「人は忘れる生き物である」ことを重々理解することで、過去の傷は癒える。

 

過去の傷に縛られる生き方で自分を「かわいそうな人間だ」と思うのも一つの生き方ではあるだろうが、それではあまりにも下らない生き方ではある、と僕は思う。

確かに他者から見れば自分は恵まれていない存在だろう、と思われはするだろうが、それは過去に囚われた生き方でしか過ぎず、僕たちは今(現在)を生きている。

 

大切なのは過去ではない。今(現在)と未来だ。

 

逃した魚(青春時代及び経済状況など)がデカイとしても、僕たちはこれからを生きている。

 

他人からの「辛かったね」「悲しかったね」「大変だったね」という台詞などを求めてはいけない。

自分が自分を励ますだけでいい。

 

それが本質であって、他人に理解を求めることではないから。

そう、今まで耐えて耐えて耐え抜いた自分を褒めることが一番大切だから。