元エホバの証人二世ルデアの傷跡ブログ

新興宗教カルト宗教の二世が立ち直った方法

自責の念を持たない

エホバの証人として働いていた過去を振り返り、「あの兄弟姉妹たちをつまづかせてしまった」と思うかもしれないけど、それは余計なお世話だと僕は勝手に解釈する。そもそも、自分がエホバの証人の組織から離れたのは、その組織に対して疑念を持ったからであり、信じてもいない組織の中に居続けることの方が欺瞞ではないかと思う。

確かにあなたが離れてしまいつまづいてしまった兄弟たちもいるだろうが、それはその人たち自身の責任であったことを思い出して欲しい。中にはつまづかない人もいるが、それは信仰(マインドコントロール)がなせる業である。
 
考えてみてほしい、知っているエホバの証人だった人が辞めた事を知った時、少しの寂しさは感じただろうが、その組織から離れよう、と強く思っただろうか? エホバへの信仰が少ない人ならあなたが離れたことがキッカケにはなるだろうが、エホバからしてみればそういった人は離れるに任せた事だろう(なぜなら完全な存在だから離れることも予期できたはずである)。
 
エホバの組織から離れたからといって、そこにいる人たちのことを思い出すこともあるだろうが、以前も述べたように過去を中心に生きるのではなく、今と未来に僕たちは生きるべきである。そして過去はもはや今のための肥料でしか過ぎず、過去の肥料をどう活かすかは自分の手にかかっている。そこに置き去りにした人たちがいるとしても、僕たちは未来に目を向けるべきである。
 
また、エホバの証人の書籍でもあった話だが、そもそもつまづく人がいるなら、その人も悪いことになっていたことを記憶している。先ほど述べたように、その人たちはつまづくということは信仰が少ないことの現れだからだ。賛美の歌であった「誰もつまづかすな」という一節があったが、あれはエホバの道から逸れるなということの暗喩だろう(それほどマインドコントロールが厳しかったことを覚えている)。
 
だから、自分がエホバの証人でなくなったからといって、「過去」の人たちに対して自責の念は不要である。自責の念を持つほど自分は偉い人間なのだろうか、と自問自答してもいいかもしれない。なんだったら自分がいなくなることによってその会衆は少しは救われたのかもしれない、と思ってもいいかもしれない。