エホバの証人二世の傷跡ブログ

新興宗教カルト宗教の二世が立ち直った方法

母について 2

実はあまり母についてあまり明記したいことはなかったりする。思い出すだけでも不快な気持ちになるからだ。でも、エホバの証人の二世がみんな僕みたいな母を持ったがゆえにこうなった、という誤解だけは避けたい。あくまで僕の母親は僕の母親オリジナルであり、他の子どもを持つ一世の姉妹たちがこんな人間性であることは是が非でも否定したいからだ。だが、僕がエホバの証人から離れた理由の第一要因になったのは否定出来ない。

 

母親はいつも被害者意識が強く、その意識があまりにも強かったがために地元の長老兄弟二人を除名させたことがある。もちろん、それができるのは統治体であって、一人の姉妹が出来ることではないはずだが、その統治体に対して何回も自分のいる会衆がひどいと手紙を書いて送っていたそうだ。その母親と似たような姉妹が別にもいた。その人も極度の被害妄想家で、あの姉妹がいる限り、あの長老兄弟がいる限り集会に行かない、というようなことを統治体宛に手紙で書いて送った。その甲斐あって(?) かは不明だが、二人の長老は除名され、いち兄弟へと格下げさせられた。

その格下げさせられた兄弟二人は居場所をなくし、別の地方(一人は北海道)へ引っ越すことになった。確かにそのうちの一人の兄弟は会衆の一部を私物化していた部分はあったことにはあったが、それは別の兄弟姉妹たちからすれば「兄弟愛のなせる業」でしか過ぎないものだった。例えば、必要の大きな所に言った一人の兄弟は脳に障害を持つことによって金銭的な必要が生じたのだが、その際に金銭的な援助をして欲しい、と寄付を募ったことがあった。これが長老を馘首(クビ)になった原因みたいだが、これは兄弟愛ではないか、としか僕は思えなかった。

実質、僕の母親といち姉妹により、長老兄弟たちは更迭させられたことを知って、僕はますますエホバの証人とその宗教に対して懐疑的になる。本当に神がいるならば、邪悪である僕の母親が排斥されるべきだとずっと思っていたが、そうなることはなく、善良ないち兄弟まで馘首にさせられた。そこにもはや神はいないと思うことになる。

 

余談だが、次に来た長老兄弟はすごく良い人で、会衆内でみんな褒めちぎっていた。あまりにも良い人過ぎて巡回監督に出世するが、その後どうなったかまでは知らない。その次に来た長老兄弟に対してはみんなの評価があまりにもひどすぎたことは覚えている。

 

そんなこんなでいろいろな人に対して振り回す母親だが、最終的にはエホバの証人を辞めたそうだ。最近、電話がかかってきて涙ながらに「エホバの証人は辞めたからね」と言っていたが、僕には「エホバの証人を辞めたからお金貸して」としか聞こえなかったのですぐに切ることにした。こんな低学歴にさておきながら無心する精神には驚きを禁じ得ないが、すでに僕の弟や父にお金を借りて返さないといったことを繰り返しているようだった。またとこぞの人に一株一万円する胡蝶蘭なりなんなり上げる事で自我を保っているのだろう、ある意味可哀想な人だが、共感するには異次元すぎる人間ではある。それに母のことだからエホバの証人を辞めたことも嘘を付いている可能性も否定出来ない。

母は今、どんな生活を送っているのかはさっぱり分からないけど、もし、聖書にかかれてある「愛」の性格を反映している人の元に僕が生まれていたならばエホバの証人を辞め「れ」なかった可能性は高い。エホバの証人の愛の定義は(パウロによる言葉であることなのが癪だが)

「愛は辛抱つよく、また親切です。愛は妬まず、自慢せず、思い上がらず、みだりな 振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されても立ちません。傷つけられても、それを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。全てのことに耐え、全てのことを信じ、全てのことを希望し、全てのことを忍耐します。愛は決して絶えません。」

とある(これは別の人の翻訳になるのは、エホバの証人の書物からの引用に関して未だに厳しいだろうから)。これを全て実行している人が母親であれば僕は救われたのかもしれない。この一文だけは未だに好きだったからよく覚えている。母が「真実なことと共に歓ぶ」人だったなら、僕はもっと人を信じることが出来たのかもしれない。でもそれが後々の僕を苦しめることになる。