元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

母について 1

今までも母について要所要所書いてきたつもりだが、母親のより具体的な性格について書こうと思う。

 

母親は虚言癖がとてつもなくすごく、平気で人前で嘘をつく人だった。

 

こんなことがあった。

別の会衆の長老との食事会の時、母親は料理を作ること無く、集会の途中の帰り道にあるお惣菜屋さんで食事(卵焼き)を購入する。そしてそれを食事会の場で差し出した。お惣菜屋さんのものだからだろう、その長老は美味しいと言って褒めていた。そしてこれを作ったのは誰か? と聞かれると母が名乗りでた。もちろん購入したことについては触れなかった。

 

さらにこんなこともある。

母親は病気がちで何かしら病気を持っていることになっていた(というのも今時点でも本当に病気なのか詐病なのか分からないからだ)。それ故に集会にあまり行く機会も減ってきたのだが、僕一人では集会や奉仕活動に参加させた。そして、僕一人で集会などに参加させることによって、僕は兄弟姉妹たちの間で「良い子」になっていたのだと思う。

やがて、母はその病気を使って結婚後の僕に「入院の費用が必要だから110万円いる。治ったらバイトして毎月8万円ずついれるから」と言ってきた。当時の給料はわずか17万円程度で、貯蓄は110万円ギリギリだった。そして、妻に相談し、生死に関わること、ということで了承を得お金を送金した。入院も終わったであろう、バイトして返すということになっていた8万円の入金は一回もなく、そのことを聞こうとして電話をすると以下のような返事が来た。

「お金ないの? それなら地方自治体から5万円借りれるよ。あとごめんお金返せないバイトできない」。

 

僕は大いに落ち込んだ。妻も落ち込んだだろう。お金の問題じゃない、誠意の問題なことに母親は気づいていなかったようだ。そして僕は後日、より一層、落ち込むことになる。

しばらくぶりに実家に帰ってみると、家の中には見慣れない物があった。「マッサージチェア」だ。金額にして数十万以上するだろう。僕のお金は入院に使われることなく、このマッサージチェアと何かに消えていったようで、僕は大いに脱力した。それ以来母親が実家にいる時には帰っていないが、父親の話によると、そのマッサージチェアは二台目で、一台目は兄弟姉妹に上げたそうだ。もはやなにも信じられなくなった。

母親は虚言癖だけでなく、見栄も人一倍強かった。

奉仕活動で配るために、これ見よがしに「ものみの塔」と「目ざめよ」誌を大量に受け取っていた。恐らく一回で100冊は超えていたと思う。こんな網羅されたところでそんなに配れる人なんて一部の人しかいなかったと思うが、案の定、母親はそれらの雜誌を配ることなく(あまり奉仕活動に参加することがなかったから当たり前だが)、それらの雜誌は母親の部屋に埋もれることになる。後日、実家から出て行った母親の部屋を掃除するために父親が見たものは、あまりにも膨大な数の「ものみの塔」と「目ざめよ」誌で、処分するのにも大いに困ったそうだ。

また見栄だけでなく、自分に対する特別感も強かった。

「油注がれた者」いわゆる14万4,000人の一人に選ばれた、と僕に言った時に僕は「ああ、アカンところまでキテるな」と正直に思った。そして、主の記念式の時にパンとぶどう酒を一口つけ、会衆の発表で油注がれた者一名、と言われた時には恥ずかしくてすぐにでも家に帰りたかった。集会にいるみんなは母親は本当に油注がれた者として認めていたのかは分からないが、母親は「あの兄弟、私が14万4,000人の一人であることを認めていない!!」とヒステリーを起こしていた。僕だって認めてはいなかったからなんとも言えなかった。恐らく、油注がれた者として正しく扱って欲しかったのだろう、そういった特別視はあまりにもされなさすぎて、翌年の主の記念式には母親はパンとぶどう酒を口につけることはなかった。また、その点についても言い訳をしていたことをよく覚えている。