元エホバの証人二世がプリンスの追悼式に思うこと
(※追悼式が行われた王国会館とは、キリスト教でいう説教的なものを行う教会のような場所のことを指す)
プリンスがエホバの証人だったとは思わなかった。
以下は元エホバの証人の方閲覧注意すること。トラウマがよみがえるかも知れない。
プリンスのような人が宗教に救いを求めるのはままあることではあると思う。クレヨンしんちゃんの作者や、鳥山明はエホバの証人説並にありえる。
また、エホバの証人だけでなく、「元」エホバの証人も、精神病及び依存症の罹患率は高く、アルコールだけでなくプリンスのように鎮痛剤依存もよくあることだったりする。恐らく、教理と相反することを行ったがゆえの自罰的・逃避的な感情がそうさせるのではないか、と推測する。
なお、追悼式に歌われた歌がコレだそうだ。
YouTube に日本語版まであるとは……
僕がエホバの証人だった頃はこんなものをアップするのは禁止されていたはずだったのだが、最近はゆるくなったのだろうか……。
134番の曲は聴いたことがないから、最近作られた曲か、もう自分の中で過去に葬り去ってしまった曲なんだろうと思う。ということは、僕はあまりにも古い信者だったんだろう。
この曲をパソコンで流して聴いてみたところ、妻から「宗教臭がするから嫌い」と言われたので、パソコンにイヤフォンを挿して聴いた。昔は「賛美の歌」という名前だったけど、最近では「エホバに歌う」という名前に変わったのか? それにしても、元二世である僕でも歌詞を聴くと、マインドコントロールは怖いとしか表現できない。
楽園よりも現実にある、「嫌われる勇気」という本にあるように「連続する刹那」に僕は生きることを望む。目の前に人参を1世紀以上ぶら下げられて、自我を殺す宗教よりも、僕は自分を持ってサタンとともにダンスを踊ることを選ぶ。
と少し苛立ちを感じながら、吐き気を抑えながらこの記事を書いていたりする。
はたしてプリンスのファンはエホバの証人になろうと思うのだろうか? 僕には分からないがもしそれでファンが喜んで信者になるなら止めはしない。「救い」は「信じる」人にしかないことはわかっている。