エホバの証人の子どもとして 3
小学生のころの話に戻そう。
母親は兄及び弟に対して非常に愛情を表していた。
僕は次男坊で、親の愛情を得る期間としては短く、そして実際、母親が僕に対して実際にこんなことを言った。
「真ん中の子はあまり愛されないからね」
実際、兄は中学生になると、すぐにエホバの証人をやめ、弟はバプテスマを受けながらも途中で離脱したが、それでもその二人に対する母親の愛情に変化はなかった。そして三人兄弟で僕だけがエホバの証人として残った。
僕は、母親のそのセリフは言わなくても分かってはいたが、言語化されることでより一層強固な気持ちとしてこびりつくことになる。
母親は兄や弟をよくかまっていた。そして僕はあまりかまってもらえず、だんだん「いらない子」として認識していくが、どうしても愛情を得たい、と思うようになる。いわゆる負けず嫌いな性格に形成されてしまった。
余談だが、次男の特徴としては、母親のそのセリフ通り愛されない(実際には幼児として愛される期間が短い)ことにより、心理学で勝ち気な性格になることが証明されている。詳しくは以下の本に書かれているが、僕はとりあえず母親の愛情を得るのに必死だったのを覚えている。
そして、僕は生まれて初めて心ない一言を母親に言う。
『バプテスマを受けたい』
それくらい母親の気持ちを惹きつけたかったのだろう。今時点で 37年生きているが、そんなにまで心ない一言はない。必死過ぎた自分がそこにいた。
しかし、その僕の心ない言葉は母親の武器になってしまった。
事あるごとに何か僕がエホバの証人としてふさわしい生き方ができていない点が少しでもあるとこう言って僕を諌めた。
「バプテスマを受けたいんじゃないの!!」と。
僕のこの心ない言葉が、母親をより一層ヒステリーにさせてしまったと同時に自分を苦しめることになる。
母親は僕がバプテスマを受けたいことを言質にし、僕を操作することになる。
バプテスマを無事(?) に受けたところで、母親の愛情の矛先は弟、さらなる愛情は兄へと向けられたので、僕のこの行動や思いには意味はなさなかったが、それでも母親のエゴ的な気持ちに応えるために僕は補助開拓奉仕者などを学生時代の夏休みなどに行ったり、したくもない王国会館などにあるトイレ掃除などを率先して勤しむことになる。
そして、他の兄弟姉妹から僕がほめられると、母親は鼻高々に笑顔になっていたのを今でも覚えている。