元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

エホバの証人の子どもとして 2

エホバの証人の二世の何が辛いか、というと恐らく元二世の方々もそうだと思うが、あまりにも規制が強かったことと、周囲からの孤立を余儀なくされたことだろう。

 

校歌や君が代を歌ってはいけない、鯨の肉を食べてはいけない、この世と言われている人たちと仲良くしてはいけない、この世が提供する音楽には注意しなければいけない、マスターベーションはいけないなどなど、上げてみればきりがない。

 

これら共通して言えることは、学校を含む周りのみんなと言われている人たちはこの世で形成されているので、余儀なく孤立化させられることだろう。孤立してもタフな男性ならともかく、群れる習慣のある女性ならこれはかなり厳しいものがあるのではないかと思う。

 

「キリスト教世界」と言われている祭りのクリスマスやバレンタイン、邪教的に扱われた他のいかなる宗教儀式、誕生日などの参加や祝うことが出来なかったことを妻に言うと(妻はいわゆる「この世」の女性であるが)、「すごく可哀想」という表現が返ってきた。確かに子どもの頃はそういったイベントに参加したかったが、それが出来ないことに一抹の寂しさを感じる以上に、周りと群れる事ができないいわゆる「他と違う」ことに、大いにやりきれない気持ちになっていた。

 

さらに厳しいものが、「巡回大会」などの参加をするために、先生に自分はその日には学校に行けないことを自分の口で伝えねばならないことだった。

エホバは絶対的に正しい、と思う子どもならそれくらいなんてこともないだろうが、当時の僕はエホバよりも母親が怖かったので、嫌々それを学校の先生に告げなければならなかった。周りと違う自分、それも嫌だったから、巡回大会に参加せねばならないことを先生に告げるにはかなりの勇気が必要だった。勇気以上に参加したくないものに「参加したい」と自分に嘘をつくのも苦しかったのを覚えている。

 

幸い、先生は宗教に理解のある人たちばかりだったので(中にはすごく怪訝な顔をした先生は一人いたが)、それはいけないというような事を言う先生はいなかったのが幸いした(恐らく僕は恵まれていた学校に通っていたのだろう)。

 

先ほど述べたとおり、この世の人たちとの接点を持ってはいけない故に孤立は余儀なくされたが、エホバの証人の仲間と仲良くする機会はいくらでもあった。

ただそれは楽しい、というよりも付き合い的な意味合いが強く、しぶしぶ参加していた気もする。エホバの証人の仲間よりも、この世の人たちの方がもっと楽しい経験をしているんだろう、ということは子どもながら容易に想像できた。

過剰に制限された娯楽なんてどう愉しめばいいんだ? と常々思っていた。

 

学校の同級生からの孤立は小学生の頃は非常に寂しく、周りと違うことに辛さを感じていたが、やがてそれらの感覚は麻痺していき(恐らくマインドコントロールされてしまったのだろう)、中学生になると孤立することも以外と耐えられるようになった。

 

こんな僕のエピソードがある。

中学生時代、同級生は机をひっつけて友達同士一緒になって弁当を食べていたが、僕は独りで弁当を食べていた。それくらい徹底してこの世の人たちから離れさせられていたのだが、学級会のようなときに、おせっかいな女子生徒から「◯◯君(僕のことだが)がみんなから避けられていて独りで弁当を食べているのは可哀想だと思います」というような発言をされてしまった。僕はエホバの証人の戒律通り、この世の人から離れて食事をしていただけなのに、周りの女子生徒からは「避けられている」と映ってしまったようだ。他の男子生徒たちはその発言を聴くとキョトンとしていたのをよく覚えている。

それ以来僕は仕方なくこの世の人たちである同級生と机を並べて食事せざるを得なかったが、後に女子生徒の発言を聴いた一人の男子生徒から個人的に「◯◯って好きで独りで弁当食べていたんだよな? 俺らは別に◯◯の事避けてないぜ」という話をしてくれた。