元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

エホバの証人を辞める

今の妻となる人と付き合い、そして彼女のために僕は必死で働いた。

就職活動をしたところ、運良く就職することに成功。朝は郵便局の内勤、昼は就職先の仕事、仕事が終わると妻の家へと向かう日が毎日続く。疲労はあったが、それはそれで辛さはなかった。

むしろ集会に行かない自分に対して晴れやかな気持ちですら持つことになった。本当にエホバの証人としての資質がなかったのだろう。

もちろん母はそれに対して不快な気持ちもあっただろうが、僕には関係なかった。

 

そして彼女と付き合ってから二ヶ月で結婚することになり、一緒に住む部屋を借りる。

僕は実家を出るとき、母に引っ越してくることを伝えると、母は泣いていた。その涙の理由はわかっている。寂しさというよりも、自分の奴隷状態だった僕がどこか行ってしまうからだ。そして僕は 23歳の頃にエホバの証人を辞め、妻と過ごすことを選択した。

 

僕には好きな映画がある。『Good Will Hunting』というマット・デーモンとロビン・ウィリアムズが出演していた映画なのだが、最後のシーンでロビン・ウィリアムズが「君は悪く無い」という言葉を連発する。その時のセリフに僕はしびれた。罪業妄想が半端無くあった僕だったが、よくよく考えてみると奴隷状態だった僕には悪いところはない。むしろよく頑張ったほうだ。そしてマット・デーモンは就職先よりも彼女を選ぶことになる。

開拓者として1,000時間/年×8年間、集会に参加していた時間、それらすべて時間は僕にとってあまり意味をなさないものだった(初見の人に対して話が出来るようになったなど、もちろん得たものはあるが、時間に対してはあまりにも乏しすぎる収穫だった)。

 

結婚を決めたのは彼女からの提案だった。一緒に過ごした方がお互い簡単に会えるし、会社の帰りにわざわざ自分のところに来るのも手間だろうし、当時は大阪市が新婚手当の対象として最大で月25,000円支給していたのでトクではないかということだった。当初、僕は結婚するには早過ぎる、と再三に渡り伝えていたが、それでも納得してくれなく、しぶしぶ了承したのを覚えている。故に出会ってからたった二ヶ月での結婚となった。

 

ただ、彼女のところに毎日通い、何かしらものを買い与える、という行動によって僕は経済的に窮苦することになる。最終的にはお金がなくなり、年金が払えなくなってしまった(2ヶ月分程度だったが)。しかし、エホバの証人のルールで決められた「上位の権威に服する」ことの重大さを後々知ることになる。すなわち、年金を払うことによって僕は救われたことがあった。それについては後々書くことにする。

そんな状態だったので、部屋を借りる時の敷金礼金は彼女のお母さんに頼ることになる。僕の両親から、経済的援助はされたことはなかったが、いわゆる「この世」の母親の方が情に深く、優しく、本当の母親のような気がした。これが本当の母親なんだな、と無意識に僕の母親と比較してしまう(もちろん、借りた敷金礼金は給料などから返済していった)。

 

だが、それでも僕の母親はエホバの証人を辞めたことについて諦めてはいなかった。わざわざ僕の引越し先の会衆から長老兄弟を派遣し、僕を再びエホバの証人として生きてもらおうとしたのだ。正直、時々くるその長老兄弟は鬱陶しい存在で、会う度に「兄弟、一緒に祈りましょう」や「祈って下さい」などを連発することになる。祈りに関しては僕は断固拒否した。

妻がその長老兄弟の顔を見て一言「目が死んでる」と言った。どうやら僕は、彼女と初めてあった時、そのような目をしていたそうだ。自我を殺して生きることってやはり一番的に見て目が死んでしまうんだろう、ということを認識する。僕はもう死んだ目の人間にはなりたくなかったので、エホバの証人に関するものは排除していくことになる。居留守もしょっちゅうした。そして4年間、僕たちが引っ越すまでその長老兄弟は飽きることなく、諦めることなく訪問を続けた。