元エホバの証人二世ルデアの遺言

元エホバの証人二世の行動および状態に対するその態度と心理のブログ

エホバの証人の子どもとして 7(インターネットとの出会い)

僕は兄に対しては敵対心が非常に強かったが、弟に対しては好意的に受け取っていた。

一緒に遊んでいる時間も長かったし、兄には自分の一人の部屋が与えられたが、夜寝るとき、弟と僕は同じ部屋だった。

正直、日本古来の「長男信仰(長男至上主義)」に対しては辟易している。両親が長男に対して甘やかす傾向に対して僕はいつも反抗的な気持ちにさせていた。イチローは次男なのに「イチ」が付くのは、イチローの両親がみんな平等の気持ちからそうさせていたようだ。僕の両親もみんな平等でいて欲しかった。

 

兄よりも少しだけ愛情が少なく与えられた弟に対して、僕は少しの哀れみを感じていたのかもしれない。そこで弟のしたいことをそれとなく聞いたところ「インターネットがしたい」と言う。当時は ISDN が一番早く 64kbps を出す程度だったが、僕は弟のためにインターネットが出来る環境を整えた。

すでに家には PowerMacintosh8500/132 があったので、比較的すぐに引くことが出来、弟と僕は譲り合って交代して使うことになる(当時使っていたのはぷららだったが、11時以降になると課金するシステムに変わってしまい、回線の品質が高かった DTI に変更したのは今となってはいい思い出だ)。

ダイアルアップ時代なのだが、当時、mixi の前進的なものである「GaiaX」なるコミュニティサイトが存在しており、そこで僕は恥ずかしげもなくポエム的なものを公開していた。そこでいろんな人と出会うことになるのだが、もちろん、エホバの証人としてはそういった行為は禁止されているものであったが、僕は意識的に無視をしていた。

いろんな人と出会うことになるが、当時のインターネットは今のような雑多なものではなく、ある程度、金銭的に余裕のある人たちばかりが集まっている社会だったので、荒れるといった事はよほどのことがない限りなく、平和な状態であった。

 

その僕のポエムに感銘を受けてくれた人が北海道などに居たことに、世界は小さくなる予感はしたが、その「GaiaX」の友達経由で、今の妻と知り合うことになる。

 

妻は当時、自殺未遂をして、病院に入院することになっていたが、ある人が妻が死んだことにして、GaiaX の掲示板でその旨を告げていた。そこで僕はとある詩を書き込んだのだが、実は妻は生きており、妻の退院後、その書き込みを見て僕の存在を知り、僕と出会うことを希望する。

 

当時の僕はもはや「ある一件」でエホバの証人として活動する気力もなく、エホバの証人の作業はもはや作業の一環でしか過ぎなかったので、彼女と会うことに対して躊躇はなかった。

 

その「ある一件」とは、エホバの証人で言う「つまづいてしまった」状態になったからで、短略的に言うと、僕が援助(サポート)していたとある母子家庭の家族の長女(バプテスマを受けていた)の方に「この世」の恋人が出来た、ということだった。言うまでもないが、そのサポートをしていた理由は純粋な理由で、その長女に対して恋心はさらさらなかったのだが、その時、僕は過去の恋心を抱いていた Y を強く思い出し、それなら僕も彼女に告白して玉砕するなり付き合うなりすれば良かったルールもあったのか、と愕然とする。もちろんそれはエホバの証人の中では許されないことなのだが、いろんな家庭もあるもんだ。それで僕はエホバの証人として、人間として大いにつまづき、食べることもままならない状態に陥った。こんなことになるなら、僕は素直に Y に自分の持っている恋心をすべてぶちまければよかった。

 

その衰えた僕を見た母親は、「そのお母さんかその長女さんに恋愛感情があったの!!」と叱責していたが、そんなものは微塵もなく、それに対して応える気力ですらなかった。自分が犠牲にしたものを援助していた人たちは容易に得ようとしている事実に、エホバの証人としての規則は容易に破られる事実に、僕は大きくつまづき、そして、何も得ることが出来ないエホバの証人としての生き方にもはや限界を感じていた。

 

話を戻そう。弟のために接続したインターネットだったが、そのインターネットにより、僕は居場所と妻を得ることになる。もちろん、妻となる人は「この世」の人で、リストカットはもちろん、OD(オーバードーズ・薬の大量服薬)をするような人で、今思えばこれは「共依存」だったのだと思う。それでも僕は彼女を救うために自分を捧げても構わない気持ちになり、彼女と付き合うことになる。付き合いつつも、集会に参加したり奉仕活動もしていたが、徐々にそれらのことから疎遠になっていく。